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新正堂の歴史探訪
切腹最中
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元禄十四年三月十四日、殿中「松の廊下」で後の「忠臣蔵」へと発展する刃傷事件は起こりました。
巳の上刻(午前十時)から六つ刻(午後六時)過ぎにかけて、刃傷…田村邸お預け…評定…切腹…と、その日のうちに矢継ぎ早に執り行われたと言います。
「切腹」…殿中での刃傷とあれば止むを得ぬお裁きとはいえ、ここで問題なのは、浅野内匠頭がいかに青年の激情家であったにしろ、多くの家臣、家族を抱える大名であったのだから、今少し慎重な調査がなされても良かったのではなかろうかということでした。
喧嘩両成敗の原則をも踏みにじった、公平を欠く短絡的なお裁きが、後の義挙仇討ち「忠臣蔵」へと発展したことは否めません。当店は、切腹された田村右京太夫屋敷に存する和菓子店として、この「忠臣蔵」にまつわる数々の語り草が和菓子を通じて、皆様の口の端に上ればという思いを込めて、最中にたっぷりの餡を込めて切腹させてみました。
「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」の辞世の句とともに、本品が話しの花をさかせるよすがともなればと心を込めておつくりしております。
何卒、末永くご愛用の程伏してお願い申し上げます。
景気上昇最中
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バブル景気が崩壊して久しい昨今、まだまだその爪痕の残る不景気の最中(もなか)、国民は額に汗して頑張っています。
そこで、黒字の願いを込めて黒糖を使い、縁起の良い小判型の、その名も「景気上昇最中」を創りました。黒糖はカルシウムや鉄分などのミネラル、ビタミン類をたっぷり含んだ、栄養価の高い自然食品で、疲れた体と脳に活力を与えます。
「景気上昇最中」を食べて、イライラを解消し、集中力をアップさせ、一日も早い景気上昇(回復)をめざして頑張りましょう。
出世の石段
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【鉄道唱歌】
汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として…
で、おなじみ、港区新橋の当店に程近い愛宕山は、東京二十三区では一番高い山です。(標高26Mですが…)
その頂上の愛宕神社は、江戸八百八町を御守りする防火の神様。
ここをお参りするためには、ゆったり、ゆるやかな女坂とまっ直ぐ切り立った男坂があります。
この男坂こそ『出世の石段』、講談「寛永の三馬術」のなかの一人、曲垣平九郎が名を成した知る人ぞ知る名所。
この武勇伝は、寛永十一年(一六三四)にさかのぼります。
徳川三代将軍家光は、二代秀忠の法要を、芝増上寺で営み、その帰途、この石段に差し掛かります。
折りから吹きおろす山風の馥郁たる梅花の香りに、一言「誰かある、騎馬にて山上の梅を一枝手折って参れ、城中の土産にいたすぞ」… この出世の糸口を平九郎は迷わず捉え、この切り立った石段を、人馬一体の見事な馬術で登り降りし、家光の激賞と志津三郎兼氏の名刀の褒美を勝ちえました。
気まぐれ家光のたった一言がもたらした、一人の武士の命運。
そこには人の目に触れない不断の精進が脈々と流れている事に、この武勇伝のあながち偶然とばかりはいえない真実が潜んでいる様に思われます。
お菓子の表裏の階模様は八十六段の出世の石段に因みました。
それは、一歩一歩、踏みしめて上る人生の階段をもイメージしたものです。